一般社団法人バーチュデザイン代表理事 / 東京大学教養学部 客員教授
吉高 まり(よしたか まり)氏
IT企業、米国投資銀行での勤務を経て、2000年に三菱UFJモルガン・スタンレー証券(当時:東京三菱証券)入社。日本初のエコファンド立ち上げに携わり、これまで15年以上にわたって気候変動および環境金融ビジネスに深く関わってきたのが吉高まりさんです。現在、三菱UFJリサーチ&コンサルティングでフェローを勤める傍ら、大学で教鞭を執る吉高さんに、世界的な脱炭素化への機運の高まり、その中で中小企業がなすべき役割、金融機関の支援や取組などについてお話を伺いました。
2006年、ケニア・ナイロビで行われたCOP12以来、気候変動に関する国際会議には毎回訪れています。パリ協定で合意された目標達成に向けて世界全体での実施状況をレビューし、その進捗を評価するのですが、今回は来年提出期限を迎える2035年に向けての目標を作るためのガイダンスとロードマップの承認が目的でした。セミナーでも触れさせていただいたように、2020年のドバイ万博会場が使われ、世界中から多くの参加者が集まっていたんですよ。
COP28の合意文書で最も注目すべきは、「公正、秩序ある、衡平(こうへい)な方法で、エネルギーシステムにおいて化石燃料から脱却(transition away from fossil fuels)を加速させる」という点です。当初は「化石燃料の段階的廃止(phase-out)」を盛り込むことが期待されていましたが、その表現がやや弱められた形です。しかし、具体的に化石燃料に言及し、脱却という言葉で使用逓減を明確化したのはとても意義のあることでしょう。さらに今回は再生可能エネルギーだけでなく、あえて原子力やCCS(CO2を集めて地中に貯留する削減・除去技術)も合意文書内に明記し、とにかく「あらゆる手段を用いて脱炭素化へ舵を切るんだ!」という強い意志が示されました。
また、会場には各国がパビリオンを出展し、脱炭素化への取組を披露していたのですが、日本のパビリオンでは他にないレベルの優れた技術展示がいくつもありました。メディアはほとんど伝えていませんが、海外ではこうした日本の技術や取組が高く評価されています。私たちが思っている以上に、世界は気候変動問題を自分ごととして考え、脱炭素化への道を突き進んでいるということです。
もちろん、日本政府も本気で対策を進めています。昨年2月に「GX実現に向けた基本方針」が閣議決定され※1、昨春「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律(GX推進法)」と「脱炭素化社会の実現に向けた電気供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律(GX脱炭素電源法)」が成立しました。さらに昨夏、政府はGX推進戦略を閣議決定。エネルギーの安定供給と確保を大前提に、成長志向型のカーボンプライシング※2 構想など多様な政策イニシアティブを掲げています。
経済産業省が発表したGXリーグ基本構想も興味深いものの一つです。これは、大手企業のみならず、金融機関、スタートアップ企業、イノベーション技術を有する中小企業などが参加し、GXに取り組む企業同士の繋がりや、産官学金が垣根を越えてGXを議論、協議する場です。昨年から活動がスタートし、自主的な排出量取引(GX-ETS※3)、市場創造のためのルール形成、ビジネス機会の創出、企業間交流の促進に取り組んでいます。
※1 経済産業省「GX実現に向けた基本方針」が閣議決定されました
※2 カーボンプライシングとは、企業が排出するCO2に価格を付け、排出者の行動を変化させるための政策手法です。政府によって行なわれる主なカーボンプライシングには、排出したCO2に課税する「炭素税」、企業ごとに排出量を決めて超過した企業と下回った企業との間でCO2排出量を取引する「排出量取引制度」、CO2の削減を価値とみなして証書化し、売買を行う「クレジット取引」などが挙げられます。
※3 GX-ETSとは、GXリーグにおける自主的な排出量取引を行う市場で、各企業が設定した目標排出量を基準に、排出量の多い企業が排出量の少ない企業から排出権を購入するなど、排出量の差分を売買する制度です。
中小企業の現状を整理すると、「カーボンニュートラルの影響への方策の実施・検討」をしているのは全体の4割以上(2023年7月・日本商工会議所調べ)にのぼります。2021年の前回調査と比べれば製造業・非製造業ともに2倍以上の比率となり、実施・検討を行う企業は確実に増えているといえるでしょう。ところが、「自社のCO2排出量の測定」や「CO2排出量の削減目標の設定」といった項目は、実施・検討を合わせても10%前後にとどまります。意識の高まりはあるものの、具体的な動きはまだまだ少ないというのが現状です。
日本の全企業数のうち中小企業が占める割合は99.7%ですが、温室効果ガスの排出量は全体の1〜2割であることから(注:東京都の場合、中小企業が占める割合は約6割)「大企業が率先して対策を行えばいいじゃないか」という考え方にも繋がっているようです。しかしながら、エネルギーコストの上昇は企業規模の大小に関わらず影響を与えます。コスト削減は中小企業にとっても重要な課題となり、脱炭素化に向けたさまざまな取組を行うことで「生産効率を上げる」、「経営改善を図る」、「社会的責任を果たす」といったメリットが得られます。
まず、大企業と取引がある場合、対応しないことでサプライチェーンから外される懸念が生じます。直接の取引がなくとも、回り回ってさまざまな条件を求められる場面が出てくるかもしれませんし、脱炭素経営を進めることが自社の競争力を強化し、新規受注や売上増のチャンスを創出します。また、先々のリスク低減も意義の一つに挙げられます。やがて導入されるカーボンプライシング(炭素税など)によるコスト負担の回避、燃料価格高騰の影響極小化、太陽光発電の導入などによる気象災害への備え、非効率なプロセスの改善や老朽化した設備更新による固定費低減も見込めるでしょう。目の前の省エネを契機として、企業のあるべき姿(パーパス)を見直し、将来への道筋を立てることができるのです。
さらに脱炭素経営は、優秀な人材の獲得にも繋がります。大学の教壇に立っていて常々感じますが、学生たちの気候変動に対する関心や感度は極めて高いんです。給与や待遇のいい大企業よりも、脱炭素化への取組が積極的な中小企業を選びたいという声が確実に増えています。なぜなら彼らは、やがて自分たちが経営に携わる立場になることをイメージしているからです。まったく何もしていない企業より、すでに脱炭素化を掲げている企業の方が好ましいと感じるのでしょう。社員の共感を得て彼らのモチベーションを維持することは、定着率向上への期待にも繋がります。
ご存じのように、リーマンショックの衝撃と混乱は今なお記憶に新しいところです。金融システムというものは、世界中の関連機関が国境を越えて支え合っているため、どこかで何かが起こると直接関係がない国にも多大な影響を及ぼします。仮に巨大な自然災害が発生したら、世界中の金融が窮地に陥ります。その地域の問題だけではなくなってしまうんです。そこで2015年末に設置されたのがTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)です。気候変動が金融の安定を脅かすリスクと捉え、すべての企業に対して「移行リスク(規制強化や脱炭素技術移行への対応といった、脱炭素社会への移行に伴うリスク)」と「物理的リスク(気候変動に伴う自然災害や異常気象によってもたらされる物理的被害リスク)、および「機会(リスクに対し、企業が取組を行うことで得られるチャンス)」の財務的影響を把握してもらい、開示促進を推奨するというものです。このTCFDに賛同する機関・企業数は日本の場合1,470にのぼり、第2位イギリスの529を大きく引き離して現在国別トップとなっています。※4
各企業が開示した情報や提言実施のモニタリングは、2024年に国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)※5 へ移管、統合化されますが、リスクだけを見ていても企業はビジネスチャンスを逸してしまいます。TCFDに賛同する金融機関は、取引先の企業との対話を通じて気候変動問題に対する指導・助言を行うとともに、CO2排出量削減に寄与する資金面、非資金面の取組実施を加速させています。
また、金融機関による脱炭素化対応支援メニューは広範にわたります。意識醸成・体制整備のための啓蒙活動や情報提供に始まり、CO2排出量算定支援、専門家による診断・コンサルティングサービス、目標・計画策定の支援などを行っています。もちろん銀行によって温度差があるのは否めませんが、多くの銀行はこの課題解決に積極的で、大半の地方銀行(62行中61行)がTCFDに賛同し、取引先企業へのソリューション提供を拡大させています。いうまでもなく、中小企業の皆さんが銀行に求める主な役割は資金調達面でのサポートでしょう。銀行はグリーンファイナンス(環境関連の投融資)を通して融資を行いますが、グリーンローンやサステナビリティ・リンク・ローン※6と呼ばれるものは、大手上場企業だけでなく中小企業においてもその活用事例が増えています。
事業計画に応じて貸付額が決まる通常融資と同様、脱炭素化に向けて目標を立てることで融資額が決まります。また、脱炭素化の推進については多様な助成金や補助金の活用と紐づけることも可能なので、取組の中身を明確にしておけば、銀行側もサポートしやすくなるのです。何しろ行政がお墨付きを与えていることになりますから。つまりは「GHG排出量の見える化」が大前提ということです。これがないと対話が始まりません。
※4 2023年10月12日時点。TCFDの活動終了に伴い、2023年11月以降の賛同企業の把握・公表は行われておりません。
※5 国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、2021年11月に発足。企業がESG(環境・社会・ガバナンス)などを含む非財務情報開示を行う際の統一された国際基準を策定する機関です。
※6 グリーンローンは、企業や地方自治体などが国内外のグリーンプロジェクト(地球温暖化や環境問題解決への取組)と呼ばれる事業に要する資金を融資すること。一方、サステナビリティ・リンク・ローンは、借り手が環境問題解決に向けたサステナビリティ活動に関する目標(SPTs)の達成を奨励する融資です。融資後は年1回程度のレポーティングを行い、達成状況に応じて融資条件を見直していく仕組みになっています。
前述のように、金融機関でも専門家を派遣した診断やアドバイスを行うサービスの提供が増えていますが、HTT実践推進ナビゲーター事業ではHTT・脱炭素に関する支援策のご相談ができるとお聞きしています。そういった東京都の助成金に対する知識やメニューに精通したナビゲーターさんの存在は大きいでしょうね。多くの銀行も自らの生き残りを懸け、長期的目線で「社会の潤滑油」となるべく努力を重ねていますが、多岐にわたる支援策を熟知したプロフェッショナルな皆さんも、きっと心強い味方となってくれるはずです。
まずは、電力を「へらす、つくる、ためる」を入口として、脱炭素経営やその先のビジネス創出、SDGs、ESGにもビジョンを拡げてみてください。とりわけSDGsは、企業としての信頼度を高め、投資機会を生む分かりやすいコミュニケーションツール。今後は企業評価のベースとなってゆくため、中小企業の皆様にも必要となってきます。現在進行形で推移するさまざまな動きを敏感に捉え、自社の成長や躍進に活かしてほしいですね。
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